HOME BACK NEXT 昭和の駅の風景。紀勢本線新宮駅、紀伊田原駅、田並駅、和深駅、栃原駅 桜井線柳本駅、三宮駅、東舞鶴駅 など。 |
昭和49年(1974)4月 名古屋行き夜行924列車で着いた、早朝の新宮駅。 ここで後部の寝台車2両を切り離し、新宮からは朝の通勤通学列車になります。 |
列車はここで40分ほど停車。出て行くのは熊野市から来る朝一の天王寺行き「きのくに2号」に増結するキハ58 紀伊半島南端近くの新宮駅でも4月の早朝は冷え込んでいます。 |
だいぶ明るくなってきた新宮駅。間もなく列車の発車時間。 この昭和49年当時は紀勢本線の東側も機関車はDF50ばかりでした。 |
新宮駅の下り(天王寺方面)出発信号 名古屋行924列車は5時50分発だったと思うので、その直前の天王寺方面行の列車とは 一番の天王寺行き急行が6時20分発だったので、その前の貨物列車の出発だったのかもしれません。 |
紀勢本線紀伊田原駅の、ホーローの駅名板 潮風のせいか傷みが激しい。 |
急行退避で数十分止まっていた和深駅からの眺め。列車から降りて海岸までいけました。 客車内まで波の音が聞こえてきて静かな時間を楽しめました。 |
田並駅の駅舎 ホームと離れたところにあります。この辺りの海岸は磯釣りのメッカ。 |
島式ホームの紀伊浦神の駅舎。列車が出るまでホームで待つ? この紀伊浦神駅は太平洋戦争でアメリカ軍機の機銃攻撃を受けています。 |
紀勢本線一身田駅。古い駅舎が今も印象に残る駅です。 この立派な駅舎は今もちゃんと保存されているようで、嬉しい事ですね。 |
駅はほとんど映っていませんが、津駅です。 昭和48(1973)年10月 |
紀勢本線栃原i駅。キハ58の331Dの窓から。 昭和61(1986)年11月 この当時はDC急行の運用が無くなり、普通列車にキハ58系が2両編成で使われていました。 |
同じく紀勢本線331Dから。伊勢柏崎駅 |
松坂駅を出て行く、キハ82の名古屋行き特急「南紀」 キハ81を先頭につけた「くろしお」の長大編成には見劣りしましたが、貴重な82系特急でした。 |
昭和47年(1972)6月 御坊臨港鉄道(現・紀州鉄道)紀伊御坊駅 駅員さんも出てきてベンチで過ごす午後のひととき。 下は現在の紀伊御坊駅 待合室 |
昭和45年(1970)10月奈良駅。 目の前に止まったC58に男の子が興奮を抑えきれない様子。 今頃はおそらくテッチャンでしょう。 |
桜井線柳本駅。昭和46年(1971)7月。 貨物の引き込み線はほとんど使用されていないようです。 |
同じ日の柳本駅にて。奈良行きのキハ35系。 |
昭和46年(1971)5月 三ノ宮駅の宇野行き急行「鷲羽」 当時はいくらでも走っていた急行電車。 |
同じく三ノ宮駅 到着した寝台特急。降りて来た人と出迎える人。 |
昭和47年(1972)頃の和歌山線五条駅 十津川の方から帰ってきたと思われる家族連れ。向こうに補機として待機中のDD13. |
和歌山線橋本駅 南海線ホームから国鉄ホームを見たところ。今よりずいぶん賑わっています。 |
昭和53年(1978)12月 小浜線東舞鶴 停車中の列車の窓から撮影 東舞鶴駅は現在は高架になって電化され、全く雰囲気が変わってしまいました。 |
同じく東舞鶴駅。まだまだ客車列車が幅を利かせていました。 |
昭和49年(1974)9月 奥羽本線 鯉川駅 |
函館本線 長万部〜石倉間のどこかの駅です。どこの駅かご存知の方、教えてください。 ベンチが海の方に向けてあるのも面白い。 |
石北本線呼人駅 本当に人を呼びたくなるような、ひと気の少ない駅でした。 急行大雪の通過待ちをしているところ。手前が札幌方向。左側には網走湖が拡がっています。 |
昭和49年(1974)9月 函館本線塩屋駅 読み間違いようの無いひらがな表示。 |
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